休職と反抗期。
3ヶ月近く、放っておいてしまいました。
お久しぶりです、PUROです。
やる!と決めると、
きちきちやり過ぎてしまうので、
これくらいの距離感でも良いかな。
でも伝えたいことはたくさんあって。
この3ヶ月、
台湾に2週間旅行に行ったり、
そのために1ヶ月かけて準備したり、
(やり込みすぎて熱出しました)
ちょっとした新しいことを始めたので、
その準備をしたり、
すこしだけ、忙しい毎日でした。
その間も、漫画読んだり、アニメ見たり、
アニメ見たり、アニメ見たり、テレビ見たり、
本を読んだり、人と素敵な繋がりがあったりして。
色んなことを考えました。
去年の今頃はずっと、
どうやってこの世からさよならするか、
そればかり考えて調べたりしていました。
自分の生きる意味ってなに?
意味なんかないよね?
ってずーっと自分に、他人に、問うて。
1年経って今は、、、
別に今の自分の人生に意味なんてないか。
100年とか、200年後の自分の子孫が、
すげー医者とかになってるかも。
そのための命だったのかも。
とか、
人類という種が、
始まって終わる、その間をつなぐため、
存在した何十億万のひとつ。
それだけ。
人生に意味なんか、ない。
考える必要なんか、ない。
とか、思っています。
ただ、たった80年ぐらいしかない、
少ない毎日を、ふんわり笑っていられるように、
自分のご機嫌をとって、
大切な人達と一緒に笑って、
毎日笑顔でいたい。
それだけ考えてれば良いか、と。
明日の朝ごはんが楽しみだな~、
明日はこれがしたいな~なんて、
思いながら眠れる今日。
変わったなあって思います。
1年前は生きていること、
食べることに罪悪感を感じて、
死ぬことを考えてるのに食べることが疑問で、
なんにも食べたくなくて、
イチゴだけ食べて暮らしていました。
一緒に住んでいる彼は、
「今の君の状態は、遅く来た反抗期だと思っている」
なんて言ってきて、
なんだよそれ、って思っていたのですが、
今はそうだったかもなあと思っています(笑)
自分の生きる意味に悩んで、
会社の上司に、同僚に、
家族に、友達に、知り合いに、社会に、
「お前ら、ふざけんなよ!」
って思いが爆発して、心が張り裂けていた。
(最近、「あいみょん」さんばかり聞いているのですが、耳障りの良い言葉だけじゃなくて、自分の心のそのまんまを声にする気持ち良さを教えてもらいました。)
他人の自分と違う部分が気になって、
受け入れることができなくて、
でもその他人の機嫌ばかり気にして、
振り回されて、疲弊して、さらに爆発して。
まず、自分が笑顔になることを忘れてしまっていたから、かもしれない。
自分が機嫌よくいることを優先すると、
他人がイラついてても、あんまり、気にならなくなりました。
他人にイラつかなくなると、
違う部分は、違うんだなあってただ受け流せるようにもなりました。
やっと反抗期(?)を抜け出しつつ、あります(笑)
私は、たぶん、毎日同じ時間に起きて、
決まった時間に同じ場所に行って、同じ人と、
同じようなことを繰り返すのが、合わない。
息がつまって、苦しい。
じゃあもうそんなことやめちゃえば良いって、
思うのに1年以上かかった。
もっと色んな働き方、生き方があって、
多くの人と同じようにできないことを、
引け目に感じるのではなく、
無理矢理、合わせようとするのではなく、
どうやったら、自分が、笑って過ごせるか、
それを一番に考えよう、
そう思うのに1年以上かかった。
今日、NHKの
『事件の涙「そこに寄り添う人がいれば~清輝君いじめ自殺と家族~」』
を見て、その中で、
お兄さんを自殺で亡くされた弟さんが、
「苦しくても生きてて欲しいと僕は思う」
とおっしゃっていて。
泣けて泣けて、ぐさりときた。
苦しくても生きてて良かった、
と生きてきたから、私は、今、思えている。
まだ、まだ、薬も飲んでるし、
苦しくて息ができない時もある。
それでも、明日が来ることを、
こんなに嫌だ嫌だと思わなくて良くなるなんて、
1年前は全く思わなかった。
かけらも想像していなかった。
苦しく真っ暗で息ができなくて、
ずっとこのままなんだ、
だから早く生きていることをやめたいんだと思っていた。
どうか、これを読んでいるあなたも、
苦しくて、苦しくて、たまらなくても。
どうか、どうか、生きて欲しい。
いつか、どうせ、心臓は止まる。
どんなに抗っても、いつかは勝手に止まる。
それまで、ただそれまで、生きてて欲しい。
あと、生きていたくないって、
もう死んじゃいたいって、
心が叫んで止まらないなら、
それをそのままどこかに発信して欲しい。
できれば、大切な人に伝えて欲しい。
それだけで、なにか変わるかもしれない。
まとまりがなくてすみません。
最近思うことでした。