休職とアダルトチルドレン(前書き)。
私はたぶん、アダルトチルドレンだと思う。
思う、とか、たぶん、とか言って逃げてるけど、まず間違いない。
「アダルトチルドレン」って検索かけて、ちょっと読むだけで、もう、共感というか、私のことだ……って気持ちが強すぎて、強すぎるあまり、泣けてきて読めなくなる。
だからまぁまず間違いないだろう。
だけど、それを認めることは、
・自分の親
・自分の幼少期
を全否定して、
お前は育ちが悪くて頭がおかしいんだよ!!って言われているようなものなので、
ものすごく、ものすごく辛くて苦しくて、
調べてまとめて記事にしたいのだけれど、
調べるのが苦痛すぎて、作業が進みません。
前回の記事で
「嫌われるのを極端に恐れる」
のはなんでかな?って書いたのですが、
私の家庭では、とにかく両親の機嫌が最優先事項でした。
子どもは親が面倒を見なければ生きていけません。
教育費は払ってもらわなくてはならない、
学校に送ってもらわなくてはならない、
ごはんを作ってもらわなくてはならない、
学校で必要な物を用意してもらわなくてはならない。
これ全部、ちゃんと親の言うことを聞いて、親の期待する通りに行動して、親の機嫌をとっていないと、私には与えられないものでした。
なので、親から叱られる、
つまり期待通りの振るまいができないことは、
「親から嫌われる」ことで、子ども時代の私にとっては死を意味するのと同じことです。
そんなに私が気に触るなら、邪魔なら、
なんで産んだの?
なんで育ててるの?
私さえ生まれなければ、あなたがそんなに怒ったり悲しんだりすることはなかったの?
私、生まれてこなければ良かった?
私のせいで二人は仲が悪くて、この家庭はこんなに息苦しいの?
私がいるせいで二人はこんなに辛そうなのに別れることができないの?
そう思って生きてきました。
というか、生きています。今も思っています。
前回、失感情症について書きながら考えていたのですが、
私の感情は相手のためのもの。
物心ついた頃からずーーっと、
親の機嫌を気にして生きてきたので、相手の機嫌や反応を気にするのは、もはや習慣というより反射に近い。
相手が喜ぶから私は喜ぶ。
相手が楽しそうだから私も楽しい。
相手が悲しむから私は辛さを隠して笑う。
相手が怒るから私は怒らずに我慢する。
これらは全部、
「親に嫌われたくない」
という思いからしてきたんでしょうね、きっと。
それが親だけじゃなくて、周りのすべての人にも思うようになってしまった。
相手の期待している感情、言葉、態度、反応。
それが出せなければ私は嫌われる。
嫌われたら終わり、私は居場所がなくなり、死ぬ。
そんな強迫観念が、私はまだ認められませんが、心に強くあるのだと思います。
ああでも今の状態になったのを、
すべて親のせいだ!って言えないんです。
誰かのせいにするより、自分のせいにするほうがよっぽど楽じゃないですか?
だって人は変えられないけど、自分は簡単に変えることができるんですもん。
これも歪んだ考え方なのかな。
私は自分の感情を取り戻したい。
誰かのための見せかけのじゃなく、
自分の心に湧いたまっすぐな思いを自分のために大切にしてあげたい。
でも、それには色々と自分の頭に、
お前はこうなんだぞ!って教えてあげなくちゃいけなくて、
私の心を縛っているものをひとつひとつ、見つけて/見つめていかなくちゃいけなくて。
苦しいです。すごく。
何年かかるんやろか、って途方にくれるぐらい。
それが出来ないと、たぶん私のうつ病は寛解したとしても、必ず再発する。
自分のためにも、
これをもしかしたら読んでくださる同じ苦しみを抱えている方のためにも、
やりたい。
アダルトチルドレンの記事を書きたい。
苦しいけど、それを乗り越えた先になにかがあると感じる。
だから、頑張ります。
いつになるかは分からないけれど…